【tera045の音楽&サブカル備忘録】

「tera045」が関わった音楽&サブカル(TVマンガ、特撮など)に関する興味、関心、活動などを記録していくブログです。

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ハマの野音?  


先日のクレイジーケンバンドのラジオで知ったのだが、横浜にもかつて「野音」があったそうだ。



野音といえば、東京の日比谷公園にある「日比谷野外大音楽堂」が有名だが、ハマの野音は、現在の横浜スタジアムがある「横浜公園」にあった「横浜野外音楽堂」である。




時々見る、この横浜の情報サイトのページに詳細が書いてあるが・・・
http://hamarepo.com/story.php?story_id=2903



時系列で簡単にまとめると・・・

・横浜開港にともない1859(安政6)年、港崎(みよざき、のちに、こうざき)遊郭が幕府の主導で建設される。

・1867(慶応2)年、いわゆる「豚屋火事」が大火となって遊郭を焼き尽くす。

・遊郭はその後、関外の吉田新田、高島町、真金町ほかへ転々。港崎遊郭があった場所は火除け地となり、1876(明治9)年、横浜公園と日本大通が誕生。

・横浜公園は当初、「彼我(ひが)公園」と呼ばれた。山手公園が外国人用の公園だったのに対し、横浜公園は日本人も利用できる公園となったため「彼ら(外国人)」と「我ら」の公園という意味で命名。

・1909(明治42)年、全面的に公園の管理が横浜市のものとなると、市は2年かけて公園を改造。公園の名称を「横浜公園」と改称。

・1923(大正12)年の関東大震災では横浜公園は避難場所となった。

・公園の復興工事は、1925(大正14)年には着工し、1929(昭和4)年に竣工。「横浜野外音楽堂」はこの時、野球場「横浜公園球場」と共に新たに誕生。

・1945(昭和20)年、終戦により横浜公園は進駐軍によって接収され、野球場は「横浜公園球場」から「ゲーリック球場」と改名。

・1952(昭和27)年、横浜公園球場と野外音楽堂が接収解除され、横浜市に返還。

・野球場は改修し「横浜公園平和野球場」となる。野外音楽堂も改修工事を経てその後利用される。

・ステージ面積:495㎡。日比谷野音は214㎡、みなとみらいホール(大ホール)は290㎡なので、かなり広々とした舞台だったことがうかがえる。

・収容人員:2600(改修前は3400)人。日比谷野音は2664席、立見450席。

・1970(昭和45)年ごろから、野球場と野外音楽堂に老朽化の問題が浮上。公園の再整備が求められるようになる。

・1977(昭和52)年までに、野外音楽堂は、現在の横浜スタジアム建設にともない撤去される。

・横浜スタジアムは、設計段階から多目的スタジアムとして構想され、野球以外のスポーツ、イベントへの使用を前提とした、日本初の多目的スタジアムとなる。

・災害時における広域避難場所でもある公園は、その機能を損なうことのないよう建築物にも細かい取り決めがることと、野外音楽堂の機能は横浜スタジアムを利用することで満たされるため、野外音楽堂を再び作られることはなかったらしい。




・・・あまり簡単な説明じゃなかったね(笑)。



カルメン・マキ&OZ、柳ジョージ&レイニーウッド、フラワー・トラヴェリン・バンド、アコースティク時代のRCサクセション、ダウンタウン・ブギウギバンド、ブレイク前のサザン・・・等々、錚々たるメンツがライブを行ったそうだ。






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Posted on 2017/01/27 Fri. 12:29 [edit]

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